【言葉の力】〜終わりのない学問〜

f:id:popoponokokoro:20200922155033j:plain

 

『言葉の力』

 

昔の偉人の残したもの、身近な人から、様々な人たちから言われた「言葉」って共感したり衝撃を受けたら記憶に残って自分の中で大事な言葉になりますよね。

 

そして何故か賢くなった気がする。

 

なんでも出来そうな気がする。

 

普段、特に気にもせずに話している「言葉」ももしかしたら誰かにとって印象に残っている大事な「言葉」になっているかもしれない。

 

そう考えると、「言葉」を知ること・「言葉」を話すことって素敵だと感じました。

 

 

朝散歩のついでに立ち寄った本屋で

 

『言葉の力』世界の古典と賢者の知恵に学ぶ 

 

という本に興味を持ち、買って読みました。

 

世界の賢者達の様々な価値観や環境、見ている世界から発されて現代にも残されている「言葉」にはすごくパワーを感じました。

 

それと同時にこれをアウトプットしてもっと自分の理解を深めたいとも思いました。

 

ですので今回は、私が沢山の言葉の中から感銘を受け、印象に残った言葉をピックアップし私の理解をより深めるため、素晴らしい言葉を知ってもらうために4つ、意味や私の考え方も同時に書き出していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

角張った器に入れれば水にも角が立つ

 

 

水は方円の器に従う 〈荀子

 

 

 

この言葉は、中国戦国時代の哲学者で、孔子(こうし)の学問を継承し高い道徳性を求めた荀子(じゅんし)の言葉です。

 

器の形を変えずに水の量を変えたい、増やしたいと思ってもどうしたって溢れたりして無駄なことは明白で、このような事は人間にも言葉にも言えることです。

 

 

言葉や話術を磨きたいのなら自分を磨かなくてはならない。

上っ面だけでなく深みのある話し方をしたいのなら深みのある人間になる方が先。

信頼されたいのであれば信頼に足る人間にならなければいけない。

 

 

簡単に例えるなら、ポケモンはレベルアップしなければ新しい技は覚えられないし、強くもなれないという事と同じです。

 

もちろん、一言二言交わすだけなら言葉を飾り、器の大きな人間に見せられるかもしれないが、それ以上会話を続けていればいずれボロが出てその人の本質はすぐに見抜かれてしまいます。

 

このようなことにもならない為にも、見える部分を飾るようにするのではなく自分の器、人間を大きく磨いていく方が大事だということです。

 

上っ面だけの薄っぺらい人間にはなりたくないですよね。

 

 

 

巫女と棺桶屋は立場が違う

 

 

矢を作る職人は鎧を作る職人よりも不二[慈愛の心を持たない]なのだろうか。

そうではないだろう。

矢を作る職人は、矢のできが悪くて人を傷つけぬようでは困るし、

鎧を作る職人は、鎧のできが悪くて人が傷つくことを心配するだけだ。

人の厄払いをする巫女と人が死ななければ困る棺桶屋もこれと同じ関係だ。 〈孟子

 

 

 

この言葉は、孟子(もうし)という中国戦国時代の哲学者で、孔子の跡を継いで儒教哲学を体系化した人物の残した言葉です。

 

矢を作る職人が悪人で、鎧を作る人間が善人だという事は一概には言えない。

 

自分の置かれた立場に合わせてできることをするだけ。

矢のできが悪ければ完全に殺す事ができずに苦しみを与えてしまうかもしれない。

また、自分の身に危険が迫った時に守れないかもしれない。

反対に、鎧のできが悪ければ自分の体も守れないし、人を守れない。

 

上と同様に巫女と棺桶屋にも同じ事が言えて、巫女は人が死なないように厄払いをし、棺桶屋は人の死を待つしかないのです。

 

人間が自分の利害に沿って物事を考えるという事は至極真っ当なものです。

 

前から見れば正面の姿が見え、後ろから見れば後ろ姿が見えるように、自分の立っている位置が自分の観点になります。

 

この言葉は、巫女が正しくて棺桶屋が間違っているという見方を否定しているだけの言葉ではなく、自分の観点だけにとどまらず、他人の観点に立って物事を考える、知るという人間の観点、考え方について話している言葉になるだろうと感じました。

 

 

 

学ばないでいると質問も出ない

 

 

人は学ばないでいると、自分はすでに学ぶ方法を知っていると思い込みやすい。

すると、知らず知らずのうちに、ただ自分が知っている範囲内で考えればいいと

思ってしまうのだ。  〈王陽明

 

 

 

この言葉は、中国明代の哲学者で、内面の修養を重視する陽明学を創始した王陽明(おうようめい)という人が弟子達を叱る時に放った言葉です。

 

この人は、質問とは現状に対する不満からくる渇望の表れで、質問をしないという事は現状に満足しているということを意味すると言っています。

 

そんなとき、人間は現状に満足しているため、自分の知っている事が全てでそれらが正しいと思うようになり、その範囲内で思考しようとします。

 

人間は現状に満足していても、何かしらをやりたいと必ず心の中で思っています。

それは質問が生まれるキッカケになります。

 

特にこの王陽明と言う人物の弟子達は何かを学びたくて弟子入りしているにも関わらず、質問がでないと言う事は学ぼうとせず、現状に満足してしまっていたという事になります。

 

社会が変化していく中で、その変化に疑問や「なぜだろう?」といった言葉が浮かばない人は現状で満足しているからというように思い込み、それは第三者から見ればただの思考停止でしかない。と言うことを王陽明は伝えたかったのだと思います。

 

 

学びとは勉学だけでなく、この世の森羅万象の何かについて考えている事、疑問に思った事だと感じました。

 

 

 

グラスの形は忘れても、ワインの味は忘れない

 

街角で友に会ったなら、あなたの魂を持って唇と舌を動かしなさい。

あなたの内なる声を友の耳に届けなさい。

そうすれば、友の魂はあなたの心の真実を永遠に刻みつけるでしょう。

まるでワインの色があせて、グラスの形を忘れても、

ワインの味はいつまでも記憶に残るように。 〈ハリール・ジブラーン〉

 

 

 

この言葉は、レバノンの作家で、世界各国を巡りながら宗教や哲学、文学、美術など様々な分野にわたり教養を深めたハリル・ジブラーンという「ジブラニズム」という用語が生まれるほどの人気を博した人物の言葉です。

 

会話とは言葉を分かち合う以上に、心と心を分かち合うことだ。

 

言葉は道具に過ぎない。言葉も大切だが、

語り手の心の方がずっと重要である。だからこそ、心にも無いことを口にしてはならない。

 

このようにハリル・ジブラーンは話しています。

 

これは、自分の取り繕った声ではなく、内なる声=本心で話す事によって相手も心を傾けてくれるという事です。

 

それをハリル・ジブラーンはワインに例えました。

 

 

重要なのはワインの色やグラスではなく、味だという事です。

色やグラスは、目を閉じてしまえば消えてしまいます。

しかし、味はそうではありません。口の中に入れたワインは体に染み込み、忘れられない記憶となります。

 

 

同様に、魂を込め心を語った言葉は口下手でも相手の記憶に残りやすく、相手に印象を与えられるでしょう。

 

 

あなたがどのような人なのかというのは、見た目や反応に気を遣った上辺だけでは相手には何の深い印象も与えられないという事で、一番大事なことはワインでいう味、人間でいう魂・心の部分ではないかと私は感じました。

 

 

 

 

まとめ

 

こうして、4つの言葉を紹介しましたがこれらは私が見た・知った一部に過ぎません。

 

 

他にも沢山の「言葉」が書かれていましたが上で紹介したものに私が特に感銘を受けただけで、見る人の環境や観点によっては他の「言葉」が重要に思えるでしょう。

 

 

こうしたことを知れる、今まで考えた事のない考えが発見できるといった部分で本を読む事はすごく面白い事だと気付きました。

 

 

本を読むという事は、過去の素晴らしい人物や普段会えないような人との会話ができる 得なものだという認識でこれからも本を読んでいきたいと思っています。

 

 

学校や社会で学ぶ知識や勉強も大切だと思いますが、自ら動かなければ知ることが出来ない、動いた人しか感じる事のできない感動や知性はもっと大切な部分だと感じました。

 

 

他人より優れようとするのが人間の本能とするのならこういう行動はとても大切な事です。

 

その中で私は「言葉」とは一番簡単で身近にあるもので、素晴らしいものだと考えます。

 

学びはこれからも絶えずしていきたいと思います。

 

 

お読みいただきありがとうございました。