【傲慢だった昔の自分】〜今思うと馬鹿みたいだ〜
「あいつには負けてない」
「あいつより俺の方が上だ」
この考えって周りから見たらすごくレベルの低い考えだと思います。
でも実際、当事者はそんな事なんて分からず、あたかもそれが当然かのように過ごしています。
もちろん、対人のスポーツや数字の見える競技や争いではそういった考えも、モチベーションを上げるためには大事でしょう。
ですが、日常で生活している人間関係の中でこういうことがあってはならないと私は思っています。
今ではそんな考えができるようになりましたが、大学1年生の頃は上記したような考えの人間でした。私は当事者だから気が付かなかったのです。
高校時代の恩師との出会いで私には新しい考えが生まれ、自分の中で軸を持った人間になれました。
〈人の心を感じる考える〉
この言葉を胸に置き、過ごしていた私は凄く自分が成長したと勘違いをしていて、徐々に他の同世代の人よりも優れている。大人な考えが出来ていると思うようになりました。
これが私のダメな部分、傲慢・驕りの始まりでした。
『他の人とは違う凄い考えを学んだ』と勘違いをし、次のステップへと進んだ大学1年生の頃、自分自身は凄く傲慢でした。
他の人達がしている行動や発言を見て、「バカだなぁ」とか「レベル低いな」という上から目線の何様かと思うくらいの気持ちで見ていた事がありました。
高校時代の恩師は人として”当たり前”の事を教えてくれただけなのに、それを教養のなかった私はあたかもそれが凄い考えであると勘違いしていました。
今考えると、本当に自分の世界観だけでしか物事を判断できない馬鹿だなとすごく思いました。
考えに正解不正解なんて無いのに勝手に自分の中で正解を決め、狭い視野で物を見て狭い考えで結論を出す。人の価値観も自分の正解だと思うものに当てはめて物事を考える。
自分がすごく愚かだったなと思います。
しかし、そういった考えも沢山の人との出会いや気づき、勉強する事で徐々に馬鹿な考えだと感じるようになり、そのような考えはしないようにしようと思えるようになりました。
もちろんそれらの考えも人によっては自信を持つための大事な手段であったりするので、あくまでこれは私の価値観の中の考えであるということを理解してもらえるとありがたいです。
私はこういう経験を経て、
『他人と自分を分けるなら、上下に分けずに左右に分ける』
ということを考えとして持っています。
上下で決めるのではなくて左右に分けて、あの人と自分は違う考えなのだと理解すること、縦の世界ではなく横の世界で見ることが大切だと感じました。
こんな当たり前のことに気づけなかった自分がすごく恥ずかしいのと同時に、自分の周りにいる人達、気づかせてくれる環境がとても良いものだと感じました。
”傲慢”なんてのは猿山の大将で、井の中の蛙です。
そんな自分を救ってくれた人達、環境にはとても感謝しています。
なので、私はその人達が困ったときに手助けできるような人間になります。
感謝される存在になろうと思います。