【人間は考える葦である】〜思考渋滞〜
これはフランスの哲学者のブレーズ・パスカルが『パンセ』の中で残した言葉です。
「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」
最近、沢山考えることが多い私に急に浮かんできた言葉です。
しかしこの言葉は沢山考えることを意味した言葉ではありません。
ですが、とても関係が深いなと思いました。
考える葦であるが故に考えが増えすぎる。
私は元々考えることが好きですが最近は考えることが多くて、逆に嫌だなと感じることも少しありました。
自然で生きるだけであれば考えることなんて特に必要はないのに人間であるが故に考えなければならない。
社会に生きるからこそ考えがなければ生きていけないし人より優れようと思えば考えを加速させなければならない。
恐らく考えすぎると巡り巡って答えが出てこなくなることがほとんどだと私は思っています。
結局、思考の渋滞をしないためには自分の都合の良い解釈をして考えを終わらすしかないのだろうと私は思いました。
最終的な結論は特に意味のあるものでなくてもいい。
意味を見出そうするとまたさらに沼にハマってしまうので自分の中で都合の良い解釈をすることが人間が考える上で大事です。
「人間は考える葦である」これらの言葉達の意味や理解は結局は自分の中で良い方向に解釈をすることが必要なのだとすごく思いますし、一定の意味を成すものでもないと私は思うので、迷ったり考え込んでしまった時は個人の考え、自分の考えをしっかり尊重し、他人に任せないということが大事だと私は考えます。
人生の節目では様々な選択をさせられます。こういった選択に迷いが生じないように日々、自分の中での答えを持っておくことが生きる上で大事なことだと私は思います。
今年もそろそろ終わりに近づいてきて、寒さも厳しくなってきました。
風邪やウイルスには十分気をつけて、良い年越しを迎えましょう!
【2020年もあと1ヶ月】
まず初めに、10月18日より約1ヶ月半ほど更新出来ていませんでした。
楽しみにしていた方々申し訳ございません。
これからまた更新していきますのでよろしくお願い致します。
さて、2020年もあと1ヶ月となりました。
今年は色々な事が起きた年でした。
コロナウィルスという新型ウィルスの感染拡大、オリンピック延期、緊急事態宣言、夏の甲子園中止、GoToの開始、安倍総理の辞任表明、有名芸能人の訃報、鬼滅の刃の大人気、等々、様々な出来事が沢山印象に残った年でした。
特にその発端とも言えるコロナウィルスには今現在も世界が混乱させられています。
ワクチンが出来ても街中の人達がマスクを取る日はいつ来るのだろうか。
2019年まではマスクのない生活が普通で、逆にマスクをしていたら病気でもしてるのではないかと思われるような日々だったのが一転、マスクをしていない人は服を着でいないのと同じくらいに恥ずかしく、嫌な目で見られる日常。
まるで昔からマスクはしていたと言わんばかりの世間の慣れ。
逆にそれが私には怖くて、笑顔が大事で愛想の良い人間が口も見せられなくて良さが曖昧になる。
目は口ほどに物を言うとは言うけれど、表情は顔全体で見るものだから良い部分も悪い部分も見せれないし隠せない。
外を出歩いて周りの人を見た時に私はいつも、「マスクのない日常が来ないかな」っていつも思っています。
マスクが好きじゃないわけではないけれど、マスクが無い方が生き生きできるし、絶対に幸せになる。
2021年にはコロナウィルスのワクチンが出来て、感染もおさまってほしいなとただただ願うばかりです。
それとは反対に、良いニュースもありました。
鬼滅の刃のアニメ・映画が社会現象を起こすくらいの大人気ぶり。
特に小さい子供からの人気が凄い。
結構グロテスクな描写もあるのになんでこんなにも子供達にハマるのかなと考えてみたりもしていました。
健康に気をつかうようになった人が増えた事も良かったことです。
こうして嫌な部分だけではなく、良い部分もしっかり見ることも大切だと思います。
2020年はすごく色んなことが起こった年になりましたが、2021年はきっとそれがどんどん良い方向に向かっていって、また幸せに感じる部分も多くなるでしょう。
私はきっとそうなると思っています。
苦労の多い年になりましたが、人生で考えれば一瞬。
この一瞬を耐えた私達にはまた何回も幸せな時間が来ます。
後1ヶ月、コロナウィルスに負けないように2020年を楽しみましょう!
今日という日は一生来ません!
今日が人生で1番若い日です!
【傲慢だった昔の自分】〜今思うと馬鹿みたいだ〜
「あいつには負けてない」
「あいつより俺の方が上だ」
この考えって周りから見たらすごくレベルの低い考えだと思います。
でも実際、当事者はそんな事なんて分からず、あたかもそれが当然かのように過ごしています。
もちろん、対人のスポーツや数字の見える競技や争いではそういった考えも、モチベーションを上げるためには大事でしょう。
ですが、日常で生活している人間関係の中でこういうことがあってはならないと私は思っています。
今ではそんな考えができるようになりましたが、大学1年生の頃は上記したような考えの人間でした。私は当事者だから気が付かなかったのです。
高校時代の恩師との出会いで私には新しい考えが生まれ、自分の中で軸を持った人間になれました。
〈人の心を感じる考える〉
この言葉を胸に置き、過ごしていた私は凄く自分が成長したと勘違いをしていて、徐々に他の同世代の人よりも優れている。大人な考えが出来ていると思うようになりました。
これが私のダメな部分、傲慢・驕りの始まりでした。
『他の人とは違う凄い考えを学んだ』と勘違いをし、次のステップへと進んだ大学1年生の頃、自分自身は凄く傲慢でした。
他の人達がしている行動や発言を見て、「バカだなぁ」とか「レベル低いな」という上から目線の何様かと思うくらいの気持ちで見ていた事がありました。
高校時代の恩師は人として”当たり前”の事を教えてくれただけなのに、それを教養のなかった私はあたかもそれが凄い考えであると勘違いしていました。
今考えると、本当に自分の世界観だけでしか物事を判断できない馬鹿だなとすごく思いました。
考えに正解不正解なんて無いのに勝手に自分の中で正解を決め、狭い視野で物を見て狭い考えで結論を出す。人の価値観も自分の正解だと思うものに当てはめて物事を考える。
自分がすごく愚かだったなと思います。
しかし、そういった考えも沢山の人との出会いや気づき、勉強する事で徐々に馬鹿な考えだと感じるようになり、そのような考えはしないようにしようと思えるようになりました。
もちろんそれらの考えも人によっては自信を持つための大事な手段であったりするので、あくまでこれは私の価値観の中の考えであるということを理解してもらえるとありがたいです。
私はこういう経験を経て、
『他人と自分を分けるなら、上下に分けずに左右に分ける』
ということを考えとして持っています。
上下で決めるのではなくて左右に分けて、あの人と自分は違う考えなのだと理解すること、縦の世界ではなく横の世界で見ることが大切だと感じました。
こんな当たり前のことに気づけなかった自分がすごく恥ずかしいのと同時に、自分の周りにいる人達、気づかせてくれる環境がとても良いものだと感じました。
”傲慢”なんてのは猿山の大将で、井の中の蛙です。
そんな自分を救ってくれた人達、環境にはとても感謝しています。
なので、私はその人達が困ったときに手助けできるような人間になります。
感謝される存在になろうと思います。
【TikTokは有能】〜ただの動画投稿アプリじゃない〜
私は普段、TikTokを30分程見ています。
そして、私はとても「有能」だと感じました。
まず、TikTokとはモバイル向けのショートビデオプラットフォームで、簡単に言えば短い動画投稿アプリです。
特に10代に爆発的人気のあるアプリで、主に、ダンスを踊ったり顔芸をして見せたり、若い世代に刺さりそうな動画を楽曲に乗せて撮影し、投稿している人がほとんどです。
TikTokに使われた楽曲がiTunesの日本のデイリートップ100の3分の1以上を独占するなんてことも日常茶飯事です。
そんなTikTokがなぜ「有能」だと言い切れるのか。
それについて大きく3つにまとめてみました。
1.投稿者の増加とジャンルの多様化
まず、「有能」だと言い切る大部分を占めるものでは確実にこれが言えます。
アプリが出始めた頃はきっと可愛い女の子がダンスを踊っていたり、かっこいい男子が踊っていたりと見て楽しむという要素が多かっただろうと思います。
しかし今ではどうでしょうか。
投稿者がバズらせるためや有名になる為など、沢山の目標を持つ投稿者が増え、ブランディングを確立させるための素晴らしいツールとして使用する人も多く、今ではただダンスを踊っている人の方が少なくも感じます。
医療関連や心理学、経営者、人物の紹介、グルメ等、挙げればキリのないほどに沢山のジャンルが生み出されてきました。
特に情報発信や自己啓発、知識や雑学など、楽しむ要素というよりも勉強になる要素が増えているなと感じました。
情報発信や自己啓発は若い人向けのアプリとしてはとても良いことで、学校では学べないお金の勉強や社会の仕組みなどをわかりやすく伝えてくれていて、しかもそれがアプリを開けば自然と目に入るようにもされていて、とても良いジャンルだと思います。
勿論、見る人によってはアルゴリズムによってオススメされる動画は変わってきますが、自分の見たいと思っているジャンルの動画がよく見られるというのがすごく良い点です。
動画全てが短い動画なので自分の好きなジャンルでなくても、興味の湧いた動画を見られるし、それが息抜きになったり知識になったりもします。
投稿者の増加とジャンルの多様化によってこれから、TwitterやInstagramに並んでいけるようなアプリになるのではないかと私は考えています。
2.情報量の多さと善悪の判断
2つ目は 1 に続くような形ですがこれも重要な部分です。
投稿者が増えジャンルも増えてきたのであれば、自然と情報量も多くなります。
その中でまず前提として、しないといけない事は「善悪の判断」です。
・動画投稿が簡単にできる
・若い人に向けられたアプリ
・バズればフォローされてファンが増える
ということを考えると、まず初めに悪い部分として私が浮かんだのは詐欺やマルチです。
現在、大学生の私の周りには沢山の詐欺話やマルチ商法の勧誘が飛び回っています。
『絶対に儲かる投資の話』や、『スマホで1日10分で○万円!』、『○万円預けるだけで寝ててもお金が入ってくる』といった話はもう耳にタコができるくらい聞きました。
まず、こういう情報はほとんどが勧誘か詐欺です。
こんなこと普通に考えれば分かることですよね。
そんなことが可能なら、絶対に儲かるのならなぜお父さんやお母さんはそれをせずに労働しているの?
そもそもそんな美味しい儲け話が君みたいな個人に入ってくるのと思う?
それを利用しようとする輩も一定数はTikTokには存在すると思います。
こういった情報量の多い中で、善悪の判断を身に付けるのもTikTokで出来るなと私は感じました。
情報発信系の投稿者であればおもしろおかしくそういった詐欺をしている人の特徴や対処法を発信している人もいますし、そういった所で善悪の判断基準を学ぶこともできます。
ですが、動画全てが正しいと思ってもいけません。
動画の中にはデタラメを言ったり、誤った情報を流している投稿者もいます。
ですので、全ての動画を鵜呑みせずに正しい動画を判断しなければならないという点でも評価出来ると思います。
他にも、コメント欄で誹謗中傷している人や悪口を書いている人を見て、「こんな人にはならないでおこう」と思えるような見方、考え方をすることも大切です。
そういった中で、情報量の多いTikTokというアプリで善悪の判断を育てられるという点でも「有能」と言えるのでしょう。
3.気持ちを前向きに育てる
これはメンタル面になりますが、すごく良い効果をもたらしているのではないかと感じた部分です。
例えば、自分がダンサーでカッコいいダンスを踊っている人を見て、自分もこれくらい踊れるようになりたいだとか、将来起業がしたくて起業している人の動画を見て参考にするだとかたくさん良い面がありますよね。
自分のやりたいことをするためにどうすれば良いか、どのようにモチベーションをあげれば良いか。
それが自然と分かり、やる気が出てくるのがTikTokだと思うのです。
かっこいい人の真似をしよう。こういう服を着よう。こんな本を読もう。体を綺麗にしよう。健康にしよう。あのアニメを観よう。
これらの事って気持ちを前向きに育てようとしていますよね。
気持ちが前を向く事で実現する可能性もグンと上がりますね。
そうしてTikTokで得た技術や知識を自分にインプットして、TikTokで動画投稿してアウトプットしてみる。
そうすると他人に見てもらえてフォローされて褒めてもらえる。
そうしてモチベーションが上がればやりたい事に積極的になれるので、気持ちも前向きになるのではないかなと考えます。
勿論、「面白い出来事を見たい」「可愛い女の子を見たい」「カッコいい男の子を見たい」などそういった面でも人によっては心の満足度も上がるのでそういう使い方も良いと思います。
気持ちを前向きに育てるという点に関しては、今の社会の中で見てもベストな方法とも言えるのではないでしょうか。
まとめ
3つ、私がTikTokを「有能」だという理由を述べましたが、これはきっと一部に過ぎません。
見ている個人によってはもっと違う感じ方や使い方をしている人もいると思います。
勿論、TikTokを何時間も見続けたり携帯に依存する事があってはなにも得られないでしょう。
ですが、しっかりとした目的がある中でTikTokを使う事がとても重要で、自分のためになります。
だから私はTikTokは「有能」だというのです。
これはTikTokに限らず他のアプリでも言えることだと私は思っています。
今回は今人気のTikTokについて書かせていただきました。
沢山の意見もあると思いますが、自分の中で自分なりに解釈をしてみてください。
今回もお読みいただきありがとうございました。
【言葉の力】〜終わりのない学問〜
『言葉の力』
昔の偉人の残したもの、身近な人から、様々な人たちから言われた「言葉」って共感したり衝撃を受けたら記憶に残って自分の中で大事な言葉になりますよね。
そして何故か賢くなった気がする。
なんでも出来そうな気がする。
普段、特に気にもせずに話している「言葉」ももしかしたら誰かにとって印象に残っている大事な「言葉」になっているかもしれない。
そう考えると、「言葉」を知ること・「言葉」を話すことって素敵だと感じました。
朝散歩のついでに立ち寄った本屋で
『言葉の力』世界の古典と賢者の知恵に学ぶ
という本に興味を持ち、買って読みました。
世界の賢者達の様々な価値観や環境、見ている世界から発されて現代にも残されている「言葉」にはすごくパワーを感じました。
それと同時にこれをアウトプットしてもっと自分の理解を深めたいとも思いました。
ですので今回は、私が沢山の言葉の中から感銘を受け、印象に残った言葉をピックアップし私の理解をより深めるため、素晴らしい言葉を知ってもらうために4つ、意味や私の考え方も同時に書き出していきたいと思います。
角張った器に入れれば水にも角が立つ
水は方円の器に従う 〈荀子〉
この言葉は、中国戦国時代の哲学者で、孔子(こうし)の学問を継承し高い道徳性を求めた荀子(じゅんし)の言葉です。
器の形を変えずに水の量を変えたい、増やしたいと思ってもどうしたって溢れたりして無駄なことは明白で、このような事は人間にも言葉にも言えることです。
言葉や話術を磨きたいのなら自分を磨かなくてはならない。
上っ面だけでなく深みのある話し方をしたいのなら深みのある人間になる方が先。
信頼されたいのであれば信頼に足る人間にならなければいけない。
簡単に例えるなら、ポケモンはレベルアップしなければ新しい技は覚えられないし、強くもなれないという事と同じです。
もちろん、一言二言交わすだけなら言葉を飾り、器の大きな人間に見せられるかもしれないが、それ以上会話を続けていればいずれボロが出てその人の本質はすぐに見抜かれてしまいます。
このようなことにもならない為にも、見える部分を飾るようにするのではなく自分の器、人間を大きく磨いていく方が大事だということです。
上っ面だけの薄っぺらい人間にはなりたくないですよね。
巫女と棺桶屋は立場が違う
矢を作る職人は鎧を作る職人よりも不二[慈愛の心を持たない]なのだろうか。
そうではないだろう。
矢を作る職人は、矢のできが悪くて人を傷つけぬようでは困るし、
鎧を作る職人は、鎧のできが悪くて人が傷つくことを心配するだけだ。
人の厄払いをする巫女と人が死ななければ困る棺桶屋もこれと同じ関係だ。 〈孟子〉
この言葉は、孟子(もうし)という中国戦国時代の哲学者で、孔子の跡を継いで儒教哲学を体系化した人物の残した言葉です。
矢を作る職人が悪人で、鎧を作る人間が善人だという事は一概には言えない。
自分の置かれた立場に合わせてできることをするだけ。
矢のできが悪ければ完全に殺す事ができずに苦しみを与えてしまうかもしれない。
また、自分の身に危険が迫った時に守れないかもしれない。
反対に、鎧のできが悪ければ自分の体も守れないし、人を守れない。
上と同様に巫女と棺桶屋にも同じ事が言えて、巫女は人が死なないように厄払いをし、棺桶屋は人の死を待つしかないのです。
人間が自分の利害に沿って物事を考えるという事は至極真っ当なものです。
前から見れば正面の姿が見え、後ろから見れば後ろ姿が見えるように、自分の立っている位置が自分の観点になります。
この言葉は、巫女が正しくて棺桶屋が間違っているという見方を否定しているだけの言葉ではなく、自分の観点だけにとどまらず、他人の観点に立って物事を考える、知るという人間の観点、考え方について話している言葉になるだろうと感じました。
学ばないでいると質問も出ない
人は学ばないでいると、自分はすでに学ぶ方法を知っていると思い込みやすい。
すると、知らず知らずのうちに、ただ自分が知っている範囲内で考えればいいと
思ってしまうのだ。 〈王陽明〉
この言葉は、中国明代の哲学者で、内面の修養を重視する陽明学を創始した王陽明(おうようめい)という人が弟子達を叱る時に放った言葉です。
この人は、質問とは現状に対する不満からくる渇望の表れで、質問をしないという事は現状に満足しているということを意味すると言っています。
そんなとき、人間は現状に満足しているため、自分の知っている事が全てでそれらが正しいと思うようになり、その範囲内で思考しようとします。
人間は現状に満足していても、何かしらをやりたいと必ず心の中で思っています。
それは質問が生まれるキッカケになります。
特にこの王陽明と言う人物の弟子達は何かを学びたくて弟子入りしているにも関わらず、質問がでないと言う事は学ぼうとせず、現状に満足してしまっていたという事になります。
社会が変化していく中で、その変化に疑問や「なぜだろう?」といった言葉が浮かばない人は現状で満足しているからというように思い込み、それは第三者から見ればただの思考停止でしかない。と言うことを王陽明は伝えたかったのだと思います。
学びとは勉学だけでなく、この世の森羅万象の何かについて考えている事、疑問に思った事だと感じました。
グラスの形は忘れても、ワインの味は忘れない
街角で友に会ったなら、あなたの魂を持って唇と舌を動かしなさい。
あなたの内なる声を友の耳に届けなさい。
そうすれば、友の魂はあなたの心の真実を永遠に刻みつけるでしょう。
まるでワインの色があせて、グラスの形を忘れても、
ワインの味はいつまでも記憶に残るように。 〈ハリール・ジブラーン〉
この言葉は、レバノンの作家で、世界各国を巡りながら宗教や哲学、文学、美術など様々な分野にわたり教養を深めたハリル・ジブラーンという「ジブラニズム」という用語が生まれるほどの人気を博した人物の言葉です。
会話とは言葉を分かち合う以上に、心と心を分かち合うことだ。
言葉は道具に過ぎない。言葉も大切だが、
語り手の心の方がずっと重要である。だからこそ、心にも無いことを口にしてはならない。
このようにハリル・ジブラーンは話しています。
これは、自分の取り繕った声ではなく、内なる声=本心で話す事によって相手も心を傾けてくれるという事です。
それをハリル・ジブラーンはワインに例えました。
重要なのはワインの色やグラスではなく、味だという事です。
色やグラスは、目を閉じてしまえば消えてしまいます。
しかし、味はそうではありません。口の中に入れたワインは体に染み込み、忘れられない記憶となります。
同様に、魂を込め心を語った言葉は口下手でも相手の記憶に残りやすく、相手に印象を与えられるでしょう。
あなたがどのような人なのかというのは、見た目や反応に気を遣った上辺だけでは相手には何の深い印象も与えられないという事で、一番大事なことはワインでいう味、人間でいう魂・心の部分ではないかと私は感じました。
まとめ
こうして、4つの言葉を紹介しましたがこれらは私が見た・知った一部に過ぎません。
他にも沢山の「言葉」が書かれていましたが上で紹介したものに私が特に感銘を受けただけで、見る人の環境や観点によっては他の「言葉」が重要に思えるでしょう。
こうしたことを知れる、今まで考えた事のない考えが発見できるといった部分で本を読む事はすごく面白い事だと気付きました。
本を読むという事は、過去の素晴らしい人物や普段会えないような人との会話ができる 得なものだという認識でこれからも本を読んでいきたいと思っています。
学校や社会で学ぶ知識や勉強も大切だと思いますが、自ら動かなければ知ることが出来ない、動いた人しか感じる事のできない感動や知性はもっと大切な部分だと感じました。
他人より優れようとするのが人間の本能とするのならこういう行動はとても大切な事です。
その中で私は「言葉」とは一番簡単で身近にあるもので、素晴らしいものだと考えます。
学びはこれからも絶えずしていきたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
【カエルの楽園】〜本質を理解する〜
日本国の本質を書き出した一冊
『カエルの楽園』というこの本は『永遠の0』や『海賊と呼ばれた男』、『フォルトゥナの瞳』などを書かれた著者 百田尚樹さんの作品です。
この作品は誰でも気軽に親しみ、読みやすいようにカエルをモチーフにしてあり、内容は主に日本国の本質を鋭く抉り出した一冊になっています。勿論、人として考えさせられる部分もたくさん織り込まれていて非常におもしろい一冊です。
ある日、平和に暮らしていたアマガエルの国のもとに他国のカエルが侵略してきて国を襲われ、住む地を奪われてしまいます。
ここでは暮らしていけないと悟った若いアマガエルが危険な旅に出て、ある国に辿り着きます。それはとても平和な国で、争いをしない為の戒を定めている魅力的な国でした。
アマガエルが辿り着いたこの国で起こる出来事全てが日本国、日本人の本質として書き出されています。
読み進めている最中に私は何度も日本人の様々な考え方が沢山織り込まれていているなと強く感じました。
権力者の言動、支離滅裂な物言い、多数派に付和雷同する人達、本当に無宗教なのか、問題への視点、思い込み、決めつけ、変化に対する恐れ、年齢による考え方の違い、固定観念、等々たくさんの面白い場面や心情があり次から次へと読みたくなります。
他人や大多数の意見に流されやすい
これは作品を読んでいて本当に多いなと感じましたし、まさに日本人を表すものだなとも思いました。
「他人に意見を言えない」、「あの人がそうしているから自分もこうしよう」、「何か言ったら批判されそう」と言ったよくある日本人の心情をはっきりと表していました。
実際、こういう人は少なくはないと思います。
この作品では「これって本当に正しい事なのか?」と周囲への同調や他人の意見について考えさせてくれます。
もちろん、しっかり周囲の意見を聞いて物事を判断することは大切なことです。
ですが、自分の意見を持って時には周囲と考え方が違うということを伝えることも大切なのではないかなとこの作品から感じました。
〇〇をしないという決めつけ
この作品の中で、「〇〇はそういうことをしないから大丈夫だ」であったり、「今はこうだけど明日にはこうなっているよ」と言った決めつけや危機管理能力の低さも多く見られました。
これは現実の社会でもよく見られることだなと感じました。
例えば、最近よく聞く台風だとか地震という天災に対して、「いっつもそんなこと言ってるけど結局何もない」であったりってよく聞きますよね?
これって本当に全く一緒で、この作品を読んでいてとてもその思考に親しみを感じました。
私はこのように、読みながら自分の今の状況に置き換えて考えてみたり、周囲でこれに近いような事があったかなと考えながら読む事で確かにそうだと感じる部分が多かったのでとても勉強になりました。
日本の本質を鋭く抉り出したこの作品は「カエル」をモチーフにすることで大人だけでなく十代、二十代にも読みやすく、世に浸透しやすくしていて普段生きているだけじゃ分からない事などにもフォーカスを当ててくれるので素晴らしい作品だと思いました。
この作品の面白さや魅力をもっと伝えたいとは思っていますが、ここに書いてしまうと私の価値観や考え方、理解力で全てを話してしまい意味がないと思うので、このブログを見た人には機会があれば是非この『カエルの楽園』を読んで欲しいなと思い書きました。
この作品に限らず、様々な著書を読む事でいろんな物事を知り、様々な見方・考え方ができるので携帯ばかり見ずに、沢山の本を見てみることをお勧めします。
【22歳】〜感謝〜
8月25日で22歳の誕生日を迎えました
22歳の誕生日の夜は部活内の友達と後輩に祝ってもらいました。
2020年に入ってからはコロナウィルスの影響でろくに外出もしていませんでしたし、お酒も家では飲まなかったので久しぶりの飲み会での外出はやはり楽しかったです。
お酒が入るとたくさん話が進み、いろんな話を聞いて幸せだなととても感じました。
私自身、最近ショックな出来事があり「今年の誕生日は静かに過ごすか、、、」と思っていたので、元気づけのために集まってくれた友達には感謝しています。
やはり持つべきものは友だなと感じました。
勿論、家族や沢山の友達にも連絡をもらいました。
こうして沢山の人からお祝いのメッセージを貰える誕生日って素敵だなと感じたのと同時に、こんなにも沢山の人に出会い過ごしてきた時間、今の私を創ってくれた人達との出会いには感謝しないといけないなと感じました。
普段は連絡の取らない人達とも年に一回はある『誕生日』には連絡を取れますし、こういう時にいい友達を持っている事を再確認できますし、それだけでも誕生日ってすごく素晴らしいイベントだなと思います。
それとはまた別にこうして歳を重ねていく事で友達に中々会えなくなっていくのだなと感じると、若いうちの今の時間を大切にしたいなと思います。
皆さんも『誕生日』には沢山の幸せを感じましょう!
普段よりは短くなりましたが、今回はこれで終わろうと思います。
誕生日を祝ってくれた人達には本当に感謝しています。
本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします(^ ^)
(ちなみにまだまだ祝いのメッセージ待ってます。期限は来年の8月24日までです✌︎)